道端で拾った小石を水切りに投げた先には小さな波紋
あの時に笑った君の顔さえも 思い出さない冷たいきおく
ダシをとり野菜を切って煮た後で味噌がないこと気付いた夕べ
そのタバコ吸ったら帰るというのならフィルターまでも焦がしてやるぜ
傷口をカッターで広げ血の痕を作る机に染みがいくつも
あの時に笑った君の顔さえも 思い出さない冷たいきおく
ダシをとり野菜を切って煮た後で味噌がないこと気付いた夕べ
そのタバコ吸ったら帰るというのならフィルターまでも焦がしてやるぜ
傷口をカッターで広げ血の痕を作る机に染みがいくつも
土砂降りの雨の中の帰り道 どこからともかくカレーのにおい
血みどろの手と手に掛けてさりげなく これは鉄製のアクセサリー
なんどでもくり返される自問自答 こたえははるか虹のかなたに
飼い犬に掛けた首輪を1つづつ ハズしてみたい月夜の晩に
春眠に勝てずに2度寝が心地いい 誰かボクにキスして欲しい
血みどろの手と手に掛けてさりげなく これは鉄製のアクセサリー
なんどでもくり返される自問自答 こたえははるか虹のかなたに
飼い犬に掛けた首輪を1つづつ ハズしてみたい月夜の晩に
春眠に勝てずに2度寝が心地いい 誰かボクにキスして欲しい
何処までも遠く彼方へ連れて行け 空にヒトスジ飛行機雲よ
行けるトコまでじゃダメだね 行けないトコまで行くのが男のロマン
月明かり 照らした君の横顔に 息を呑みこむ音も呑みこむ
地図さえも持たずに出かけて後悔をするには早い20歳の旅路
近づいて離れてはまた近づいて 君はまるでさざ波みたいだ
この空を表現しようと混ぜてみた絵の具の青という青すべて
考えて出る答えなんて初めから出てるはずなのそれが答えだ
あきらめるだけの人生サヨウナラ そこの曲がり角でサヨウナラ
行けるトコまでじゃダメだね 行けないトコまで行くのが男のロマン
月明かり 照らした君の横顔に 息を呑みこむ音も呑みこむ
地図さえも持たずに出かけて後悔をするには早い20歳の旅路
近づいて離れてはまた近づいて 君はまるでさざ波みたいだ
この空を表現しようと混ぜてみた絵の具の青という青すべて
考えて出る答えなんて初めから出てるはずなのそれが答えだ
あきらめるだけの人生サヨウナラ そこの曲がり角でサヨウナラ
※注 かなり、テキトーに短歌を詠んでみました。お暇な方コメント求む!
もう誰も信じられないて言ったよね 僕のことさえ信じられない?
思い出し笑いしかできない今も いつか思い出して笑っていたい
発車のベルが鳴り止む頃には キミの顔さえ見えない涙
夢でしか逢えない君に 何度でも逢えるのならば夢でもいいや
「子供は夢を見ろ」 という大人は現実ばかりを視ているよね
お金が全てってそんな悲しいこというなって いつかいいたい
まだ痛む? 今朝、箪笥のかどにぶつけた 足の小指と同じくらいに
もう誰も信じられないて言ったよね 僕のことさえ信じられない?
思い出し笑いしかできない今も いつか思い出して笑っていたい
発車のベルが鳴り止む頃には キミの顔さえ見えない涙
夢でしか逢えない君に 何度でも逢えるのならば夢でもいいや
「子供は夢を見ろ」 という大人は現実ばかりを視ているよね
お金が全てってそんな悲しいこというなって いつかいいたい
まだ痛む? 今朝、箪笥のかどにぶつけた 足の小指と同じくらいに
知っている人は知ってるし
知らない人は全く知らないだろうと思いますが、
今日は中秋の名月
です。いわゆる"十五夜"。
そう、満月とススキとウサギとお団子の日です。(ちょっち違うか?)
なぜに"十五夜"かっつーとですね、
太陰太陽暦(旧暦)の8月15日(十五夜)と9月13日(十三夜)の夜の月見を指す。旧暦の8月15日を「中秋」と呼ぶため中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ、ちゅうじゅう)ともいう。また、旧暦8月は、秋(7月から9月)のちょうど中頃なので「仲秋」と呼ぶ、そのため仲秋の名月と表記する場合もあるが、「中秋」は旧暦8月15日をさし、「仲秋」は秋を三つに区分したときの真ん中の期間をさす言葉であるので、「中秋の名月」が正しい表記である。古来より旧暦8月(グレゴリオ暦(新暦)では9月ごろ)は、空気が乾燥して月が鮮やかに見え、かつ、湿度も低く夜でもそれほど寒くないため、観月に最も良い時節とされていた。この夜は、月が見える場所などに祭壇を作り薄(すすき)を飾って月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、御酒を供えて月を眺めた(お月見料理)、豊作を祈る満月法会など。このことから芋名月とも言う。中国でも同様の習慣があり、月餅を作ってお供えする。日本に伝わって、月見団子に変ったという。韓国でも、この時期、月見の習慣があり、チュソク(秋夕)といい、勤めも休みになり、郷里で親族と共に祝うお正月、お盆に次ぐお祭りになっている。ソンピョン(松餅)というお菓子をつくる。十三夜は日本独自の風習であり、ちょうど食べ頃の大豆や栗などを供えることから、この夜の月を豆名月または栗名月という。十五夜と十三夜どちらか片方の月見しかしないのは「片月見」と言って嫌われた。中国、日本では、月を愛でるという習慣が古くからあり、日本では縄文時代ごろからあるといわれ平安時代ごろから中国から月見の祭事が伝わると貴族などの間で観月の宴や舟遊び(直接月を見るのではなく船などにのったりして水面に揺れる月を楽しむ)など歌を詠んだり酒を飲んだりした。ヨーロッパでは満月は人の心をかき乱し、狂わせるものであったようで、月の女神が死を暗示したり、狼男が月を見て変身するというのは、その典型的な例で、とても月を眺めて楽しむという気分にはなれなかったようだ・・・。
てな理由です

なんか話の論点が広がり過ぎましたね。
では今宵も良い月を。
チャオ

ウゥ~~~~~~~~~~~ワン!!























